アラビア書道の歴史

アラビア書道はクルアーン(コーラン)と深い結びつきがあります。クルアーンをいかに正しく、かつ美しく書くかというところから発展してきたからです。
クルアーンはアラビア語で書かれており、編纂されたのは650年ごろといわれています。ところが、当時、アラビア文字は地域により、非常に多くの書体があり、書き方もはっきり決まっていませんでした。更に、文字に打つ点の数や打つ場所さえも決まっておらず、全く点を打たないことさえありました。
アッラーの掲示が書かれたクルアーンを読み間違ってはならないということから、アラビア文字には点を打つ場所、点の数が決められ、もともと母音表記がなかったアラビア語に母音符号が打たれ、次第にアラビア語の正書法も確立し始めてきました。
アラビア書道の創始者と言われているのは、アッバース朝(751年~1258年)時代の大臣を務めたイブン・ムクラ(940年没)という人物です。彼はアラビア文字の形を理論的に系統づけ、文字を明確な幾何学的法則と尺度によって定められた比率に従って書くことを可能にしました。そして、六つの重要な書体(ナスヒー、ムハッカク、ライハーニー、スルス、タウキーウ、リカーウ)を定めました。しかしながら彼の直筆は現在残っていません。
それを発展させたのがイブン・バッワーブ(1032年没)でイブン・ムクラの書法に優美さを加えた書道家とされています。また、それまでコーランの写本として主に使われていたクーフィー体に代ってナスヒー体が主流となりました。この背景には、獣皮紙から中国から伝わった紙に移行したことに伴い、インクも、タンニン酸塩からできたものからミダードと呼ばれる煤から作られたものに代わったことが大きく影響しています。
アラビア語に書道が発展した理由の一つにはイスラム教では偶像崇拝を禁じているという点も挙げられるかもしれません。クルアーンを書写するという行為がアラビア語には重要な仕事であることから、優れた書家を輩出しました。
アラビア書道がもっとも華やかだった時代がオスマン・トルコ時代(1299年~1922年)でした。書家たちはイスタンブールを中心に活動し、現代までに伝えられている主要なアラビア書道の書体の礎を築きました。

最も有名な能書家としては、ヤークート・ムスタウスィミー(1298年没)です。彼は、イブン・ムクラやイブン・バッワーブを模範にし、六書体を更に改良し、それまで平らであったペン先を斜めに削って文字を書く書法を始めた人物でもあります。
シャイフ・ハムドゥラー(1520年没)はヤークート・ムスタウスィミーの六書体を更に改良し、特にナスヒー書体とスルス書体をトルコ人好みに洗練させました。
この伝統六書体を独自の審美基準によって評価し新書法を考案したのがハーフィズ・オスマン(1698年没)で、ハムドッラーの書体を元に新しい字体を創出しました。
この時代の書道家たちは宮廷書道家として活躍し、スルタンたちを弟子にして書道を教えていました。スルタンもアラビア書道を教養としてたしなみ、スルタンの署名に使われた書体はトゥグラー(Tughlar)と呼ばれ、美しい形をした独特のフォルムとして残っています。

インドにムガール帝国を築ぎ、後に有名なタージマハルを建造した第5代皇帝シャー・ジャハーン(1592-1666年)はアブドゥルハック・アマーナート・ハーン・シーラーズィー(1642年没)に霊廟内外、墓石、モスクにスルス書体でクルアーンの言葉を書かせています。

イスラム教が各地に広がるとともに、アラビア書道の書体も各地域、年代でいろいろな形のものが現れるようになりました。例えば、アフリカ、マグレブ地方(現在のモロッコ付近)ではクーフィー体から派生したと思われるマグレブ書体という独特の丸みを帯びた書体が残り、独自の発展を遂げていました。
活版印刷の技術がアラビア書道及びアラビア書道家の立場を大きく変化させました。当初受け入れられなかった活版印刷によるクルアーンの印刷も1727年にリトグラフ印刷術が導入され、クルアーンの復元が出来るようになりました。
そしてついに1924年になってカイロでクルアーンの活字印刷が許可されるようになりました。更にデジタル化が進むにつれて、アラビア書道はクルアーンの写本という役割から純粋に芸術の分野に移行してゆくようになりました。

新鋭の書道家としては、当代一と言われたトルコのハーミド・アーミディー(1982年没)、サイード・イブラヒム(1994年没)などを挙げることができます。
また、最近では、米国のムハンマド・ザカリヤ、若手のトルコのムハンマド・オズチャイなどの名前が挙げることができます。
書道家が書道をモチーフとして、アートの世界に進出するものも増えてきました。
ハッサン・マスウーディはフランスで活躍しているアラビア書道家で、竹ペンの代わりにボール紙を小さく切ったものを使ってアラビア文字を描くのを特徴としています。
また、中国人書家Haji Noor Deenのように中国書道を取り入れた独自の書体を編み出す者や、日本人書家本田孝一のように、伝統的な書法を守りながらも、宇宙や自然の雰囲気を背景にした斬新でかつ深遠なデザインを取り入れた作品を制作する書道家もあらわれており、伝統的なアラビア書道の世界も少しずつ多様化し始めたと言うことができます。
なお、結婚式の祝い文字、会社のロゴ、広告、看板、垂れ幕などでは現在でも書家によるアラビア文字が利用されることがあります。
伝統的なスタイルのアラビア書道は、師匠が弟子を取り、直接伝えるという形で残っています。これらの書道作品に伝統的なデザインを施す技術(テズヒーブ)も残っています。弟子は師匠からイジャーザ(許可書)をもらうことができれば一人前とされ、自分の作品にkatabahu(『彼がそれを書いた』の意)と記すことができるようになります。
(参考:イスラム書道芸術大鑑 本田孝一訳・解説 平凡社
「コーランの世界」大川玲子著 河出書房新社)